クソが世界と吐き出せたから大丈夫

あぁ、こんな生きづらい世界を作り出してしまった自分を責める気持ちにはなれない。でも、これから色んなことをして少しでも人生が楽しくなれる様に努力しなければならないのだろうと感じている。人の視線が気になり過ぎてどうしたら自分らしく生きられるのかとネットで視線恐怖症について一つ一つ書かれている記事をザーーーーと読み進めると、「自分に自信をつけること」が大抵書かれてる。今、一番悩んでいることは人とうまくコミュニケーションをとれないということだ。学校に通っているのだが入学して2カ月も経つのに、全くクラスの中で馴染めていない。話をする人は1人だし、その人が近くにいないと誰も話が出来る人がいなくなるという現状。唯一話が出来る人ともとてもぎこちない会話しか出来ないと自分で分かってもいる。つまり俺は1人ぼっちである。そんなことを毎日毎日思い悩んで精神的に落ちるとこまで落ちているし、あー死にたいと何度も頭をよぎる。いや、実際に死なないけどね。でもやっぱり死にたいと思うのだ。

 

人と会話をするということは自分の考えていることを相手に伝えることもその1つだと思うしそれをしなければ相手に話を続けさせるだけになってしまう。しかし、頭が空っぽの俺は普段からもちろん何も考えてはいないので、話を振られても実際に何も思い浮かばないのだ。いや、浮かびはするけれどどれも相手の言ったことへの同意であったり会話がグルーブしないものだらけのものなので、そんなことしか思い浮かばない自分が嫌になって結局返事をするだけでまた相手の話を待つだけになってしまう。自分の頭の回転が遅すぎて、でも何か気の利いたことを言わなければとテンパることだけはいっちょまえでそんなことの繰り返しをずっと続けている。当然、話をすることが怖くなって関わることを億劫に感じて休憩中も1人。そんな状況でいること自体が恥ずかしいしあの人いつも一人だよねと思われて同情されていたりするのだろうな、ださいやつ、学校辞めちゃえばいいのにとか思われてるんだろうな、とかそんな他人の思っているであろうと自分が勝手に思い込んでいる声を反芻させて心がもっと疲弊する。そんな時は、スマホツイッターとかをただひたすら見続けて時間をつぶすのだけれど、内容なんてまったく頭に入らない。ただ、字を追っているだけで頭の中はつらいつらいつらいつらいという気持ちでいっぱいだからだ。こんなに生きづらい世の中であっても生きていこうとはしているし、この先、もっと生きやすい世界が待っていると希望は微かに感じてる。

このブログは、そんなどん底にいる30代の男が、自分の言葉を獲得して無事学校を卒業していくまでの日々の生をつづって行こうと思い始めてみました。自分の言葉というのはきっとどこかに吐き出した分だけ得られるのであろうと考えるに至りました。なので書く内容なんてのはきっとなんでもいいし、うまく書こうなんて思わないようにしないと、書くこと、吐き出すことが難しくなってくる。ここで、高らかに宣言したいのは無謀とも思えるがやってやれないことはない目標だ。毎日3000字を書くということ!今の時点で1298字。後1305字。やってやれないことはない。

 

自分は悩みが多い人間で普通に考えれば中学生か高校生くらいまでである程度解消されるような外見上の悩みもまだ同じ強度を保ったまま残っている。くせ毛とか、肌が黒いこととか、身長が低いこと、目が細い、童顔、毛深い。そんなことについても毎日鏡を見ては悩み続けている。そんな自分ではどうすることもできないものに限りある時間が奪われてしまうというのは自分でもむなしいことだと分かっている。これまでに、そんなに悩んでも仕方ないじゃないかと思うために、鏡を見る回数を減らしてみたり(1日2回、朝出かけるときと風呂上り)して外見にとらわれる時間を極力なくすようにしてみたけど、効果は出なかった。きっと、これらの悩みについても自分に自信が持てないことからきているのだと今はそう思う。人って他人にそこまで関心がないというけど、どうなんですかね?たとえばコンビニの店員、カラオケの店員、特に女性の場合、明らかに人によって態度を変えるじゃないですか?そういうのにいちいち傷ついてしまうんですよ。俺の前、後の客には親切に料金とか時間の説明をしてるのにこちらの番だけ明らかに投げやりでそれは被害妄想とか思いこみとかではないのは、さすがにわかるくらいに投げやりで、それは自分の存在がぞんざいに扱ってもいい人間だと認識されたということで、自信がないからこそプライドだけは高いおれはそんな重いストレートをくらったら3時間は立てませんよ。うじうじと店員へのいらだちよりも自分の存在を責め立てる。俺がもっとイケメンだったら、社交性があって明るい人間だったらと今の自分を否定しまくる。そうすると、鏡を見たくなる。俺は今どんな顔面クオリティーなのか。ぞんざいに扱われるような外見なのかと。どんだけ外見に固執してるんだと書いてて気持ち悪くなって来るけど本当にそんな考え方しかいつの間にかできなくなっているんです。こんな小さい世界で、自分と相手を見ること自体をどうにかしたいけど方法がわからない。明日からまた学校が始まるのだ。嫌だな、ときっと誰もが少なからず感じる日曜日の午後。しかし、嫌だな、とかそんなレベルでなく、明日こそ本当に世界に殺されるかもしれないと絶望している。明日なんて来なければいいのに。だらだらと答えを出さずに書いているけど、それしかできません。読んで欲しいとも思ってないからいいよね。思ったことをまずは吐き出すことが今の自分に出来る最善のことであると信じている。実は、文章を書くことというのはすごく憧れでもあって、自分は音楽が好きでサブカルチャーが好きでそういうものを作っている人と、それを批評する人が好きでそれらすべてが知的なことであるという考え方がすごくあって、いつか自分も人を惹き付ける魅力的な文章を書きたいとずっと思っていた。ただ単に思っていた。そういう自分から見て魅力のある文章を書く人というのは一番自分が手に入れたいと願っている「自分の考えを伝えることが上手な人」なのだ。元々の地頭の良さというのはこの際考えずにどうすればあの人みたいになれるのかについてこちらが努力できる部分を徹底的にこなしていくしかないのだろう。それには、とにかく文章を書きまくる。そんな自分努力以外てんでダメですから・・みたいな思考停止野郎と言われてもそれしか出来ないのだよ。だらだらと、わかりきったことをしゃべり続けるクソばばぁみたいな人もいて、そんな奴は死んでしまえと思うけど、そんなの話をただただ、相槌を打つことでしか関わりあえない人間である自分が悪いんだよ。お前の話は面白くないからめっためたにぶった切ってやるという高尚な考え方が出来る会話スキルを身に付けたい。こういう事を書くことってブーメランになるというのもわかってる。だって、俺の話の方がつまらないのだから。返ってくるんですよね、汚い言葉って。荒んだ心を武器にして戦うことはいけないことかい?それがモチベーションになってりゃいいんでないのかな!それだけでもないしな!

 

あっでもやっぱりブログは見てほしい気持ちもあるので好きな音楽は載せていきます。

結構詳しい方だと思いますのでそれだけでも見て、音楽ライフが楽しくなって貰えたらいいなと思ってます。こんな、情報社会で詳しい方とか書いたら恥ずかしいですよね。

 


小沢健二 - 流動体について

 

もう、この曲めっちゃ好きでシングルはもちろん発売日に買いました。歌詞に関してはしっかりと見れてはいなくて単純に弾むようなメロディーとえらくポップな音達にいつ聴いても楽しくなれる所がこの曲の好きな所です。PVが5/31に公開されてまた聴きはじめたのですが、やっぱりすばらしく楽しいです。ストリングスとギターの心地よい歪みとクラップユアハンズがこの曲の持つ祝祭感を盛り立てる。泣けちゃう。夢眠ねむタートルネック姿がエロクナイスか?抜けちゃう。