夜の散歩

Netflixで「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」の新シーズンが配信開始されたので早速、休日を使って見ていた。ある痛ましい出来事がきっかけとなり受刑者たちの感情が爆発し刑務所内は未だかつてない程に抑制のきかない状態になっていた。映画だと、ある程度の時間で見終えることが出来るがドラマだと一気に見続けるにはかなりの根気がいるし、一話一話集中して見るにはそれこそ疲れてしまう。だから、寝る。起きて見る、また寝る、目は閉じて声だけが聞こえる中、まどろみ続ける。内容が頭に入ってこないことこの上なく雰囲気でただ見てることが多いのだ。ドラマや音楽、映画、本等、その作品について語れる人がうらやましい。感受性とか、共感力、思考力、そういった能力が向上するような訓練はないものか。インプット、アウトプットが両方出来るようになりたいな。しかも高クオリティーでね。まぁバカなんで出来ないのは仕方ないけど。って卑下するのは良くないな。やってやれないことなんてないのだから、ブログを続けて行こうとまた新たに決意をした次第。だって、休日に話す人のいない自分に出来ることはこの、インターネット回線を使って誰に向けてるわけでもないが、そこには無限の見えない未来の閲覧者がいるなんて想像してというかそういう意識がはっきりとあるのだから、それは対人に向けて語り掛けているものなんだよね。それは、個人的な日記とは別なものでここにはしっかりと虚勢と虚飾が混じっているけど嘘じゃない。そこだけは、誰にも見られない秘密のノートと変わらない部分だと思う。良い文章書く人に見られたいとかそういうクソみたいな考えが頭をよぎってくる内はまだまだひよっこでそんな考えが浮かぶよりも伝えたい熱量が上回った時こそがへたくそな文章でも達成感を得られるのだと思うし、それは大きく言えば自分を獲得することになるのだろうな。

 

話は変わって、最近ストレッチを辞めた。もう何年も前に腰がだるいことになって、ネットで効果的なストレッチなるものを調べて、毎日続けてみたり、3日に一回とか間隔を空けたりしながら実践してきていたけれど、何年もそんなことを続けて分かったことはストレッチの才能が自分にはないことだ。それは、ここ2週間一切伸ばすことをしなくなってからの方が断然調子が良い。強くし過ぎたのか、やり方がまずかったのかは分からないが、すくなくとも自力で腰痛を治すとかそういったことはやめた方がいいのだろうと悟った。それでも、症状が悪化するようなら整骨院などプロの方に任せとけばよいのだ。何年も続けて来たことが逆に体を痛める原因になっていたのかもと思うとちくしょー金返せと払ってもいないものを請求したくなるが、この気付きで痛みが緩和されるなら許してあげようではないか。発想の転換というイマジネーションを働かせた自分にかける言葉はこれしかない。「もっと早く気づけよ」

 

夜の散歩って音楽ライフなるものの質をグッと高めるな、なんて最近歩きながらよく思う。目に入る情報が少ない分、意識が入ってくる音に集中するのかもしれない。それが心地よくて最近は好んで暗い夜道をイヤホンつけててくてくと歩いてる。ウォーキングは1日20分すれば良いらしいが、アルバム一枚聴き終わらない時間なんか物足りないのだ。平気で1時間~2時間くらい歩いてしまう。寝る時間が少なくなっても構わない。そして、朝起きて、後10分でいい、寝かせてくれ、と鳴りやまないアラームに慈悲を請う。

 


水曜日のカンパネラ『メロス』

このグルーヴを排したと断言して良いものかどうかという一点に固執してしまうのは、断続的な部分ごとに生み出されるフックと変拍子と力強く打ち付ける鼓動が身体に直接鳴り響くかの様に刻まれるから。何を言ってるのか自分でも分からないのですぐに記憶から消去して頂きたい。曲とは全く関係ないけど、コムアイさんに悩み相談とかしたらすっごいいいアドバイスしてくれそう。